1週間くらい前に播種した石倉一本ネギ発芽しました。
板橋に出た人たちはウォーキング中心。私は久しぶりに6km走ることができました。長野マラソンに向けて上げていきたい。
昨日は板橋CITYマラソンがあり、ワンデーポートから5名が参加しました。今日のミーティングで、そのうち4名に感想を聞きました。4人ともタイムは目標を達しなかったものの、それぞれ感じたことがあったようです。初フルサブ4を達成したHさんは、ゴールのとき昨年ワンデーポートに来て走りはじめたときのことを思い出したそうです。
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極早生玉ねぎ初収穫。
私含め3名はウォーキング。
大さん橋から。
よく見ると造花でした。
46階の展望台から。
土づくり開始。冬に起こしていないのでカッチカチ。
中央に金色羅皇を栽培する予定です。
明日ポットに播種しますが、発芽を促進するために、1日濡れティッシュに包みます。
モクレンと青空のコントラストが美しい朝。
(私は留守番)
写真は森から。
おでんエイドに寄りましたが、この辺り(26km)から歩きました。
ダイコンにハンペン。
イチゴ、美味しかった。
景色は最高ですが、おでん食べた後に気持ち悪くなりました。
ただただつらい時間。
どうにかゴール。
ちびまる子ちゃんの声優のTARAKOさんが亡くなったそうです。御冥福をお祈りします。静岡マラソンのゴール地点の清水は、ちびまる子ちゃんの舞台です。
Oさんありがとう。
走りに行きたいと思ってなかなか行くことができない場所がいくつかあります。その一つが小田急線の和泉多摩川周辺の多摩川の土手です。
この辺りは昭和のテレビドラマの撮影地として有名で、私と同世代の皆様は一度はテレビドラマのいちシーンとして観ているはずです。
私がいちばん印象に残っているのはウルトラセブンの第45話の「円盤が来た」でのシーン。子どもの頃に観たということではなく、大人になって観たのですが、多摩川やその周辺の印象的なシーンがたくさん出てきます(「円盤が来た」のストーリーは今の時代に通じるメッセージ性があります。観ていないな方には強くお勧めします)。
円盤が来たが撮影されたのは昭和43年なので、川の流れ含め周辺様子は変わってしまっていると思いますが、団地の給水塔など当時のままの建物も残っているそうです。
https://ameblo.jp/gaikotsubancho184/entry-12500178996.html
和泉多摩川駅近くのスポーツ施設はランナーズステーションとしてロッカーなどの設備を提供しているようです。
近いうちに行ってみようかな。
]]>静岡マラソンが終わってから巣鴨の有名な定食屋でアジフライを食べましたが、全然違いました。
私の中では目黒のサンマならぬ、沼津のアジフライ。
今回の静岡マラソンは7年前に一緒に参加したNさんと静岡に向かいますが、沼津でアジフライを食べるのが楽しみになんです。沼津港まで行こうかなと思っています。
土曜日に20km歩きました(歩きだと痛みが出ない)。
今日は4.8km走りました。腰と臀部の間に痛みが出ましたが、先週よりは良くなっています。日曜日の静岡マラソンはゆっくり行くことができところまで走るつもりです。
ゆっくり走っているのに心拍数が150超えている、涙。
左側は石倉一本太ネギ(ダイソー)
右は九条細ネギ(昨年の夏に毎日のように食べたネギ)を移植
早生種のアイドルじゅんことソニック。
追肥は鶏ふん1回だけですが、肥料過多の症状が出ています。収穫には問題ないと思いますが。
欠株に品種不明の購入苗をいくつか入れましたが、極早生だったのかもしれません。はやくも結球していました。
すでに残り5kmを切っているそうです。順調ですね。
ネットで「マラソンは遊び」と言われて傷ついている人がいて、軽く議論になっていました。
「遊び」という言葉の意味は多様なので、批判した人と批判された人では、意味するところ、理解の仕方は違うようにも思いました。
「遊び」という言葉には、道楽、バクチや色酒にふける意味合いもあるので、人によってはけしからんこととしてその言葉を用いたり、理解してしまうのも無理はないことなのではないかと思います。
ワンデーポートでは「遊び」という言葉はポジティブな意味に理解して、「遊び」かは得られることは、人生の目的に重なるくらいのものだと考えています。
でも、ネガティブな言葉として使われることもあることはこころに留めて置くことにします。
6月30日に「健康的な遊びの効用」というテーマでセミナーを計画しています。
ワンデーポートの利用者の皆さんの情報や私の感覚では、今週、月曜日と火曜日に症状が悪化した人が多かったです。
日曜日に雨が降り、月曜日、火曜日は晴れて強風が吹き、大量飛散になりました。しかし、昨日は症状が軽くなった人も少なくないようです。
私がいちばん信頼している東京都の花粉情報↓では、月曜日はとんでもない飛散量です(棒グラフの突き出ている日)。肌色は過去10年の平均ですが、月曜日はやはり、大量悲惨!だったことが裏付けられています。
今年の花粉はやや少ない予想が出ているので、今週の月曜日のような大量飛散はもうないと願っているのですが。
これ、スギナ(つくし)の地下茎です。つくしを見ると春の訪れを実感しますが、畑には大迷惑です。
1月半ばに播種した人参。
一見、新聞紙を敷いて電車を待つ風景は、ほのぼのとして見えますが、そこら中にゴミが散乱しているし、柱の下にはゴミがまとめられて、放置されています。時代なのだろうけど、ゴミに対する意識の違いも垣間見えます。
いまの時代に若い人が同じことをしたら、昔の若者はこの時代のことを忘れていて「いまの若者は……」なんて苦言を呈するかもしれませんね。
明日は痛みがなければ2〜3km走りたいと思います。
走らないとネガティブな感情が出てきてしまいます。ランニングは精神的な健康の土台を支えていると思います。
]]>宮沢喜一元総理の日録が見つかったという。40年にわたって政治行動の記録をつけていたそうです。誰に会ったかなど分刻みでの記録が記されているという。
日録と日記はどう違うのか、ググってみました。
日録:日々の出来事を書く。 (出来事に関する項目・記録を書く事が主体) 日記:日々の出来事を紙などに記録したものだが、自分なりに感想も書いてよい。
日録は客観的記録であり、日記は主観的なものということですかね。日記は自分自身に向けての記録であり、日録は後世のためのものと言えるのかもしれません。
ところで、福祉の仕事をしていると記録の重要性を痛感することがあります。記録に関する研修を受けたこともあります。でも、私は苦手。とても苦手です。ついつい、まあいいや、と妥協してしまいます。妥協して残した記録でも、あとになってたいへん役立つこともあるので、記録は大事だと思うのですが。
人間の記憶なんて、この時期に降る雪のようにすぐに溶けて消えてしまうもの。私がいなくなってもワンデーポートが続いたら、今までの記録はほんとうに恥ずかしいし、見せられたものではない。自分のためにも、ワンデーポートを利用する人のためにも、もう少ししっかり記録していかねばと思ったわけで。
]]>テーマは生活保護でした。福祉事務所で働いていた方が講師でした。
私は24年間、100人以上の生活保護申請に同行したり、資料を作成してきましたが、昨日の話は知らない話があり勉強になりました。
社会では、生活保護を受けている人は怠けているとか、仕事をしなくていいよね、と偏見を持っている人がいますが、悲しいことです。
とんだけ才能があるんだよ。
左のネオアースはまっすぐ。
中、右のソニック、アイドルじゅんこは葉っぱが暴れ気味。
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私はLブロック。
号砲を待っていると、すぐ前にいた人のナンバーカードに記されている名前が、平仮名だと私と同姓同名でした。なんだか嬉しくなって、声をかけたら、その方もびっくりしていていました(珍しくない名前だけど)。「お互い頑張りましょうと」励まされました。
今年のスターターは原辰徳さん。元ジャイアンツファン、今はアンチの私ですが、少し楽しみにしていました。
で、11時半に号砲が鳴りスタート。スピーカーから原辰徳さんの爽やかな声が聞こえてきました。
「頑張ってください、おお、ジャイアンツのユニフォーム着ている人が多いなあ。おっ、坂本がいた」
私はLブロックなのでスタート地点がなかなか見えてきません。周囲のランナーはジョグで進むくらいの速さでした。やっと見えてきたと思ったら、スタート地点が渋滞しています。原辰徳さんとゲストの高橋尚子さんに手を振ったり、写真を撮ったりする人が多く前に進まないのです。私も写真を撮っている1人でしたが…。
間近で見ると原さん、やっぱりカッコいい。
スタートしてからは1km6分15秒くらいでゆっくり進みました。案の定、3kmくらいから痛みはじめましたが激痛ではないので、ペースを維持します。
5km通過したあたりで、後ろがざわつき出します「Qちゃんだ」。「頑張りましょう」と声をかけながら走ってきました。スマホを取り出す時間もなく、凄いスピード。あっという間に見えなくなりました。
トワーズという西多摩地区でパチンコホールのTシャツを着た人を何にか見かけました。
東京都のパチンコホールにはお世話になっているので、ゴールしてこのTシャツを着ている方に話しかけました。毎年青梅マラソンには出ていて、今回も会社から10数人がエントリーしていると教えてくれました。
7kmを過ぎたあたりで、トップのランナーとすれ違います。いやいや、速い。速すぎ。
Qちゃんは8.5km地点で、戻ってくるランナーに声をかけハイタッチしていました。
10kmを過ぎた辺りから股関節の痛みが強くなり、不安がよぎりますが、折り返したら下り坂だからと、気持ちをつなぎます。
そして、ようやく折り返し。マラソンの折り返しはテンションが上がります。
下り坂になり、少しペースが上がりましたが、疲労と股関節の痛みに襲われます。Qちゃんがいる(はず)の21km過ぎを楽しみに頑張ります。
青梅は杉の木が多いです。昨夜からの雨で、あまり花粉が飛んでいないのは幸いでした。
下の写真、正面は全部杉。おお杉です、汗。
やっと21km通過。軍畑〜二俣尾にかけての上り坂は青梅マラソンの正念場。Qちゃんはそれを知っていて、毎回この辺りで、ハイタッチしてくれる。
軍畑駅を過ぎて上り坂がはじります。
いた!
Qちゃんにハイタッチしてもらい、元気が出ました。が、すぐにいっぱいいっぱいになり、ペースが落てしまいました。
後ろからワンデーポートOBのミックンに励まされましたが、元気が出ません。
残り6kmくらいのところで、背中をポンと叩かれました。ワンデーポートの人かと思いましたが、見知らぬ女性。「Tシャツの文字に感動しました」よ、と。静岡走る会というTシャツを着ていました。
ありがとー。
ランナーからの声援、沿道からの応援に後押しされどうにかゴールにたどり着きました。
ゴールした後、右股関節周辺はかなり痛いですが、参加して良かったと思います。つらく、楽しい、30kmでした。
タイムは3時間11分38秒でした、泣。
大さん橋にウエステルダムというはじめて見るクルーズ船が停泊していました。オランダの船のようです。
(石倉一本ネギ)
青梅マラソンまで4日。
私は脚の付け根あたりに痛みがあり、ウォーキングにしました。青梅マラソンまでに治るか不安。
本郷公園からワンデーポートに戻る途中、あまり見かけない雀くらいの大きさの茶色い小鳥がいました。ウグイスかと思いましたが、ネットで調べたらジョウビタキという渡り鳥でした。春になったら朝鮮半島か中国大陸に帰るそうです。旅の支度をしていたのかもしれない。
蝋梅が見頃です。
7名がエントリーしているしおや100キロの練習を兼ねています。
それにしても気持ち良さそうな景色。
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ネギの根は強く、植え替えができます。といいますか、植え替えをしたほうが大きくなります。環境を変えて生長を促進します。
人間と同じで野菜も環境調整が大事なんです。
今日はMさんに負けました。
テーピングして調整したので、指抜けは良かったのですが。
残り方を見ると1投目がバラついているのが一目瞭然です。
(それにしても生長が早い)
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青梅マラソンは気温については気にしていません(でした)。雪が少し心配くらい。
2週間予報を確認したらですね。ヤバいよ。2月なのに、最高気温の予報が20度!
しかも、青梅マラソンは11時半スタートですよ。
衝撃的に甘いスイカ、金色羅皇の種が届きました。500円で5個しか入っていない。スイカの発芽は、他のウリ科野菜より難しいのですが…。
とりあえず、頑張ります。
スナップエンドウ。冬を越せそうかな。
手前からアイドルじゅんこ、ソニック、ネオアース。手前早生の2種は雪と寒さの影響で元気がない。
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家族支援の視点から
浦和まはろ相談室 精神保健福祉士
高澤 和彦
「依存症理解」ではなく「本人理解」
私はワンデーポートでは家族相談を担当しています。本業は埼玉県の浦和で相談室をやっています。その前は埼玉県の公務員をやっていました。県立精神医療センターで長年お酒とクスリの担当をやっていました。今言われているように「依存症は病気です」と一生懸命伝えていました。でも、支援の経験を積めば積むほど、少し違うなあと気が付いてきました。20年くらい前にアメリカのある施設に勉強に行ったときに、個別的に考えること、その人の生活をどうつくるかが大事だと知りました。短期間で依存症の再発防止の教育をしたところで、その後の生活の中でハプニングに遭遇すると現実的な対処ができず、生活が崩れてしまう人がいます。長い人生にはハプニングがつきものなので、細く、長くつきあいながら、ハプニングが起きたときに現実的な対処をサポートして、生活の崩れを小さくしていく方が長期的な安定につながるのではないかと考えるようになりました。
今日の結論は、「ギャンブル依存症を知る」というところから、「本人を理解する」方向に考え方を変えましょうということです。教科書的な「依存症」支援の二本柱は認知行動療法と自助グループです。ご家族向けにも医療機関や精神保健福祉センターの家族教室の中に認知行動療法のプログラムが入っていることが多く、自助グループもあります。以前は私も、この「かたち」の中に入れていこうと考えていた時期がありました。
図の左側は昔の考え方です。かつてのワンデーポートの家族セミナーもこんな感じでした。本人のことを理解する前に答えがありました。
右側は今、私が行っている相談です。「その人はどういう人なのか?」「どうしてそのような行動をとるのか?」を、ご家族と一緒にこれまでの生活を振り返りながら考えることを大事にしています。精神保健福祉センター、保健所、基幹相談支援センターなど、地域で相談の仕事をしている方々にもこうした(図の右側)の考え方が必要だと思っています。その人がどういう人であるかがわかると、たとえば「生活をこんなふうに工夫をしてみましょう」となることもあります。知的な問題や発達の問題がある場合は、「能力や特性を評価してもらいましょう」となることもあります。「こういう福祉サービスを使おう」というケースもあります。「見守っていきましょう」となる人もいます。場合によっては、ご家族の生活や経済的なリスクをどのように減らしていくかを一緒に考えることもあります。この人はどういう人か、なぜそのような行動をとるのかを考えることによっていろいろな方向性が見えてきます。
「依存症」や「病気」という言葉が適切ではなくなっている
元々の「依存症」は社会でしっかりやれていた人がお酒にとらわれてしまい、生活が崩れているイメージです。当時の社会は今よりゆるやかでした。今は、社会生活をしていく上で、苦手なこと、力が足りないことがあったりすると、社会でうまくいかず、居場所を求めてギャンブル、ゲームにのめり込んでしまうわけです。ゲーム依存症になったから、勉強に身が入らなくなった、学校に行けなくなった、自分の未来が想像できなくなったのではなく、昔の「依存症」とは原因と結果が逆になっています。社会が厳しくなっていることが大きな要因で、社会の変化で依存の問題が起こりやすくなっていると思います。昔のアルコール・薬物依存症で使っていた説明があてはまらなくなっていて、「依存症」や「病気」という言葉が適切ではなくなってきています。
何に困っているのか
今、依存問題をめぐっては、二つの見方が世の中にはあります。今日、私がお伝えしているのは右側の考え方です。広く「依存症」ととらえることに慎重になってほしいと思っています。依存行動よりも、この人は何に困っているのかということに焦点を当ててほしいと思います。ご本人も、できれば自分のことを理解してほしいと思います。ご家族もなんでこうなってしまうかを理解してほしいと思います。そして、それを踏まえた環境調整が大事です。
単純化したいい方になってしまいますが、昔の考え方だと、ギャンブルやゲームにハマっている人は、やめれば問題がなくなるという考え方でした。今はそうではなくて、元々人間関係がうまくいかない、仕事がうまくいかないといった人が、ギャンブルをしているときたけホッとできるという感じなので、ギャンブルをやめるというところから入っても、実は問題はなくなりません。よく「依存症は回復する」といわれま
すが、人によっては嘘です。
右下図の1番の自己改善する人もかなりいますし、2番のちょっとしたきっかけで自分で考えながら解決していける人もいます。リカバリーサポート・ネットワークのような相談機関に電話したり、私たちの相談に来たりすることがきっかけになる人もこの中に含まれています。大変なのは4番と5番です。生活の立て直しに寄り添っていく必要がある人もいます。問題を抱えながら、社会の中で見守っていかなくてはいけない難しい人もいます。それなのに社会では3番しか示されていません。実際は、2番、4番、5番で向きあう人が多いです。
私がご家族と何をやっているかというと、成育歴、生活歴を一緒に振り返ります。これはご家族でないと知らない情報です。ご家族と話をすると、どうしても出てくるのはギャンブルに関する問題や借金の話が中心ですが、そこをどう広げて聴くかが私たちの役割です。お母さんのお腹にいるときのことから、乳幼児期の発育・発達、学校生活がどうだったか、仕事は続いていたのか、人間関係はどうだったのかということを聴きます。元々お金の管理ができていたのかも聴きます。ギャンブルの問題が起きる前からお金の管理ができていない人はとても多いです。それ以外に、得意なこと苦手なこと、今の生活に無理がないかも聴いていきます。ご家族が「ギャンブル依存症の人」ととらえていたのを、とらえ直すことが大事になってきます。ご家族が描いているように、ギャンブルやめて、仕事をして、自立して、借金を返済できるようにはならないかもしれません。現実的なところにどう落とし込んでいくか、どのような支援が必要なのか考えていきます。
時代の変化の影響
昭和と令和では社会が変わってきています。令和に生きている人が、昭和に行ったらうまく生きることができるかもしれません。今の時代では、何かの障害に該当しなくても、ちょっとした苦手なことがあるだけでつまずきやすくなっています。学校や職場で不適応が起きやすくなっています。こうした構造で依存の問題も起きやすくなっています。家族相談ではそういうことをご家族に説明します。
今求められる「のめりこみ」の支援は、「やめる」「やめさせる」ことを第一の課題に設定しない支援です。その人がどういうことに困っていて、どう理解して、どう支援して解決していくかに、力点を置いてほしいです。その人らしく生活が安定・充実することで、結果として問題が小さくなったらいいと思います。