ギャンブル依存症再考〜家族個別相談から見えてきたこと〜 高澤和彦(浦和まはろ相談室)

  • 2015.02.25 Wednesday
  • 10:54
2015/01/11 ワンデーポート家族セミナー

浦和まはろ相談室 高澤和彦(精神保健福祉士)

はじめに
 後半の話を担当する高澤です。よろしくお願いします。
 稲村さんにならって、私も自己紹介をします。精神保健福祉士という資格を持って仕事をしています。割と新しい国家資格で、私が学校を出て、精神科の病院で働き始めた頃には、まだなかった資格です。その後、資格制度ができました。1986年3月に社会福祉の大学を卒業して以来、ずっと精神保健に携わる仕事をしています。民間の病院に勤めた後、埼玉県庁に入って、一番長くいたのが県立精神医療センターで、そこのアルコールと薬物の専門病棟の担当ワーカーを長くやっていました。

ドーン・ファーム(ミシガン州)視察での学び
 そのときに、アメリカのミシガン州にあるドーン・ファームというアルコールの施設に視察に行くチャンスを得ました。当時の私は依存症病棟の担当をしていて、バリバリの依存症の支援者でした。しかし、ここに行って少し考え方が変わってきました。日本との違いを感じたのは、「生活をつくる」ということにすごくこだわっている施設だったことです。相互援助(自助)グループにつなげるとか、プログラムを深めていくとかいうだけではなくて、その人が社会の中で暮らせるようになるために長期ケアが必要だということで、いろいろな生活教育をしたり、経験を積んでもらったり、現実の社会生活に近い体験をしたりすることに重きを置いている施設でした。特に若い人ですと、トータル3年くらいはフォローしていって、その人が社会の中で生活していけることを目指す施設でした。
 その前の時代のアメリカは、プログラム中心主義だったそうで、短期でプログラムを教え込んで、それで回復しなさいというところがあったのですが、結局それではうまくいかなかったので、社会生活を目指した長期ケアにうつってきたそうです。「日本では、ぜひそういう間違いは起こさないでくださいね」といわれて帰ってきましたが、今、日本はかなり間違った方向に行っているのではないかと危惧しています。
 ミシガンのドーン・ファームで、生活をどのようにつくっていくのかというケアの仕方に触れたこともひとつの要因になり、その前から医療モデルに限界を感じていたこともあって、バカな私は県を辞めてしまいました。その後少し回り道をして、2007年に相談室を開業しました。ちょうどその頃に、ワンデーポートでも家族の相談を受ける人がいなくて困っていました。そこで、家族の相談を頼まれて、私はワンデーポートにかかわるようになったという流れです。

家族個別相談で見られる相談の傾向
 今日の私の話の内容は、稲村さんの話とかぶる部分はありますが、家族の個別相談で見られる相談の傾向についてお話したいと思います。
 家族の個別相談でいちばん多いのがギャンブルという現象を間違ってとらえているケースです。ギャンブルが原因となって生活がおかしくなっているのか、元々生活がうまくできない人が結果としてギャンブルをやっているのか、ということを間違ってとらえている人が多いです。後者のほうが圧倒的に多いのですが、「ギャンブル依存症です」と表面に現れている現象だけをとらえて来る人が多いのです。一人暮らしができて、仕事もできて、対人交流もできて、趣味もあって、バランスの取れた生活が何年、何十年とできた人が、ギャンブルをやるようになって、借金ができた、仕事に影響が出てきた、家族との関係が悪くなった、いろいろな問題が出てきたという人であれば、ギャンブルをやめてもらえれば、それで解決されるわけです。ところが、そういうケースはほとんどありません。
 家族が相談に来るケースは、元々金銭管理が苦手で、一人暮らしをするとすぐに家賃を滞納したりしています。学校も途中で行かなくなったり、仕事も転々としていたりします。昔から対人交流よりもゲームを好んでいたという人もいます。簡単にいうと、(ギャンブルに出会う前から)安定した生活が成り立っていないのです。そういう人たちが、パチンコ屋さんを居場所にしてしまうというような事例がたくさんあります。そういう人は、パチンコだけやめても生活が成り立たないことは変わらないわけです。ですから、私たちは家族相談の中で、パチンコの問題だけではなく、その人の全体を見て、どのような方針で支援していくか考えるようになりました。

「ギャンブル依存症は病気」という考え方が邪魔をしている
 家族相談に来る前に、クリニックや支援機関に行ったり、相互援助グループに参加したりして、「ギャンブル依存症」が問題だと考えて支援してうまくいかなかったという方がたくさん来ます。他の支援の場では問題行動であるギャンブルや借金や嘘については聞かれたけれども、今までどういう生活をしてきたのかということについては聞かれていないということがほとんどです。
 私たちはギャンブルという問題行動だけではなく、その人が生まれてからこれまでどんな生活をしてきたのか、人や社会とのかかわり等を細かく聴きます。ギャンブルのことはほとんど聞かないこともあります。その人を理解する上でも、これからの解決に向けて対策を立てる上でも、ギャンブルのことはそれほど重要ではありません。稲村さんが大局でと言っていましたが、全体的にとらえるようにしています。目に見えるギャンブルや借金ということではなく、生育歴、生活歴、家族歴をていねいに見ていくことが重要です。
 次に多いのが、能力や適性を誤ってとらえている方(家族)も多いです。お子さんにしろ、夫・妻にしろ、一見するとある一定の生活はできていたりします。でもよく見ていくと、元々お金の管理が上手ではないとか、先の見通しを持って暮らすことが苦手であるとかという人もいます。たとえば、高校くらいまではなんとかやれていたけれど、仕事に就いたとたんに崩れてしまうというような人がいます。ギャンブルをやって崩れているように見えても、よく見ていくと別の問題が隠れていることがあります。結婚生活自体がストレスになっていてギャンブルに逃避している人もいます。子どもが生まれたとたんに混乱が始まっている人もいます。

社会の変化にも目を向ける必要がある
 「男ならできるだろう」「俺だってやってきたんだ」と口癖のようにいうお父さんがいました。お父さんの時代と今の時代が違うことをなかなか理解してもらえません。「ふつう」に見える人でも、今の時代で問題を起こさずに生きることは難しくなっています。
 たとえば、昔は黒電話が一家に一台でした。今は、携帯電話が一人一台、下手すると二台、三台の時代です。電話、メールの機能にとどまらず多機能で、買物もできて、ゲームの課金もされます。キャッシュカードも便利になりました。コンビニエンスストアは24時間開いています。手数料を払えば、いつでもお金を下ろせるようになりました。便利になった反面、簡単に生活破綻が起きる社会にもなってしまったわけです。昔もお金の使い方が苦手な人はいっぱいいたのだと思いますが、不便だからこそ破綻せずに済んだのだと思います。時代が変わって「ふつう」のハードルが上がってしまっているのです。
 こういう社会の変化を考慮せずに、「俺だってやってきたんだから」というのは困ります。能力や適性を家族の方が誤ってとらえているために、傷ついていて、結果としてギャンブルに逃避している人もたくさんいます。個人の力と社会との関係を見なくてはいけないと思います。個人の「病気だ」ということでは片付けられないと思います。今は、仕事にしても生活にしても、昔よりかなり高い能力がないと「ふつうに」生きていけない世の中になっていると思います。

相互援助グループの中で迷走している家族は多い
 NHKの番組や新聞報道では、「病気だ」という極めて残念な見方しか示されていないのですが、社会との関係性をとらえていかないといけないと思います。以前の家族セミナーは「病気を理解してもらう」ことが目的でしたが、今の家族相談は、「その人をどう理解してもらうか」ということに目的が変わっています。
 病気モデルでやっていた頃は、「まずは家族教室に行って病気のことを学んでください」でした。それとセットで、「本人はGA、家族はギャマノンという相互援助グループに行ってください」が「定番」でした。でも、家族の個別相談に来る方の中には、相互援助グループに行くことでかえって迷走している人がいます。それは、相互援助グループでの助言や考え方が、「その人」にマッチしていないためです。「ギャンブル依存症は病気」というところが刷り込まれてしまい、ギャンブル以外のところに目が向かなくなってしまっている人も少なくありません。「全体を見ましょう」といっても、「だってギャンブルをやってるじゃないですか」というところだけにこだわってしまい、相談が前に進まなくなってしまうこともあります。
 それから「借金の尻拭いはいけない」ということを例にとると、「一銭たりとも出すものか!」という感じで、○か×かという固い考え方になってしまっている人もいます。「依存症の人は家族にも依存するから、愛を持って手放しましょう」といわれますが、よく見ると、家族に依存なんかしてこない、頼ってない人も多いです。「依存症というものはこういうものだ」という思い込みで、家族に対して助言をしている支援者や相互援助グループのメンバーが残念ながらいるのです。共依存やイネイブリングという言葉を使う方もいますが、私たちはまったく使っていません。死語です。
 先ほどミシガン州の施設に行った話をしましたが、その時点で既にそんな言葉は使っていないといっていました。日本では相変わらず使われていますが、言葉にとらわれてしまっていて、具体的にどういう関係にしていけばよいのかというところが見えていない家族によく出会います。全員が全員ではありませんが、家族教室や家族の相互援助グループに参加することで、逆に家族の考え方や行動が縛られてしまって、本人を追い込んでしまっていることがあると思っています。依存症の勉強や家族の体験に基づく助言がフィットする場合もあれば、そうでない場合もあるわけです。

家族と一緒に工夫する
 私たちの相談では、何をやってよいか、悪いかということではなくて、家族がどんなことに困っていて、これからどういうことが起きそうなのかということを聴き出して、可能な限り、徹底的に、具体的にサポートしていくことだと思っています。たとえば、借金のことを例にとると、こう対応してくださいと伝えても、家族は安心できません。前は「こうして、ああして」とこまごま伝えましたが、今は「わからなかったら電話ちょうだい」と伝えています。正直「イラッ」とすることもあるのですが、初期の段階では徹底的にサポートするしかないと腹をくくっています。しばらくつきあうと、この家族にはこれくらいサポートすればよいというのがわかってきます。
 ピンチが訪れたら、ピンチをどういうふうに活用して、どういう方向に転換していくかということも家族の方と話すようにしています。
 ワンデーポートの家族相談は、1回が原則ですが、継続相談を希望される方は、私と稲村さんが引き継ぐこともできます。私のところで引き継いでいるケースで最近多いのは、コミュニケーションをどう見直していくかという支援です。ご家族の方も一生懸命この問題を解決しようとして、自分なりに工夫したり、本を読んだり、勉強会に行ったりしていろいろ試みていますが、それがうまくいかないので相談に来ます。話を聴いてみると、本人と家族が敵対関係になっていることがあります。敵から味方になっていくにはどうしたらよいのかを一緒に考えます。最近来たお母さんは、「本人が新年早々パチンコに行ったんです。元日ですよ。元日」とプリプリ怒っていました。しかし、詳しく聴いてみると、元日に本人が苦手な親族が来ることになっていて、年末から本人はその人には会いたくないと強く意思表示していました。「部屋に隠れているのも大変だし、居心地もよくないし、ある意味賢く逃げたのでは?」といったら、母も「そういう見方もあるんですね」ということで、「パチンコだけに目くじら立てずに、どうして元日に家にいなかったか理由を聞いてみたら?」と伝えました。家族の方が本人との関係で苦労していると、知らず知らずにこういう敵対した見方になってしまいます。あるいは、私たち支援者も旧来からの依存症のやり方だけで考えてしまうと、「それは病気の症状」「それはスリップ」などと病気モデルの論理で理屈をつけてしまいます。そのあたりを見直してみようということが最近すごく多いです。

家族が本人の話に耳を傾けること−マニュアルより、その家族のポイント−
 最近、CRAFTという家族向けのプログラムがあって、そのマニュアルが本屋さんで売っていたりします。それはそれで意味があると思います。でも、いったいその家族が学んだり、練習したりするポイントはどこか?ということはわからないわけです。その家族に必要なポイントを見つけ出す手伝いをすることこそ支援者の役割なんじゃないかと思うのです。私は、その家族が取り組むポイントをともに見つけて、シンプルに次の4点あたりを組み合わせて、個別的に家族と工夫していくことが多いです。
まず大事なのは、本人の話や言い分を最後まで聴くことです。本人が話している途中で「いや、それは」とさえぎったり、話を聴く前に「あれをやれ、これがいい」と先にどんどん提案が出ていたりします。今までのかかわりを検証していく中で、これは意識して実行しましょうと話すことが多いです。
 それから、2つ目は結構大事で、話し合いをしたときなどに、その場であわてて、瞬間的に結論を出すなということを、家族によくいっています。たとえば、息子さんの話を最後まで聴いたら、1日2日両親で話し合って、よく考えて、そのプランを私も電話で教えてもらうこともあって、「よし、じゃあこういうことだね」とゆっくりと結論を出しても遅くないということです。本人の話を聴いても、その場でワッといってしまって、結局わけがわらなくなっていることが多いです。
3つ目に、本人の気持ちや考えを勝手に想像するなということです。きちんと言葉にして質問したりして、確認することが大事です。
 最後に、一度に、一気に欲張らないことです。
 関係性の修復は少しずつです。修復できた事例もかなり出てきました。依存症の支援で5年くらい全くかみ合わなかった家族が、今はすごく仲よくなっていたりします。ただ、家族にも本人にも特徴がありますので、こうしたアプローチが難しい場合もあります。そういう場合は少し離れることを考えるとか、次の選択肢を考えます。こういうことも、マニュアルではなくて家族と話し合いながら少しずつやっています。

家族、本人、支援者の共同作業
 こういうことによって、本人が理解されていると感じて、問題行動が減ることがかなりあります。昔の依存症の考え方では「底をつかす」みたいなことがありましたが、理解されている関係の中では、痛い目にあわなくても、柔らかく「じゃあ、次はこうしましょう」と提案すると、うまくその流れに乗ってくることも多いです。稲村さんもさっき懺悔していましたけれど、私も以前は本当にひどい相談や助言をやってきました。このあたりは昔と大きく変わったところです。
 それで、「ギャンブル依存症という病気」という考え方から、生活の困難がある人に「金銭管理や生活支援を家族と一緒に工夫をする」という考え方に変わってきました。この人は、金銭管理が少し苦手なんだなとか、生活が少しうまくできないんだなということが理解できるようになると、ギャンブルさえやめれば「ふつう」になるというような幻想や夢を追い求めずに済みます。そして、実力以上にはならないので、家族の期待どおりではないかもしれませんが、その人らしく暮らしていくにはどうしたらよいかを一緒に考えるようにしています。ある家族は、楽しみながら、ときには苦労しながら、本人について新たな発見をして、それによって私の理解も更新されて、「こういうふうに工夫してみましょうか」みたいなことが出てきます。
 家族の方と本人の「トリセツ」(取扱説明書)をつくろうという話をよくしていて、これが将来にも役に立つと考えています。たとえば、ある人は将来結婚するかもしれません。そうしたら、その人の妻に「トリセツ」を伝えていこうということを、本気で考えているケースもあります。また、たとえば、親御さんが歳をとってきても、親御さんが「トリセツ」を持っていれば、かかわってもらう後見人や地域の支援者に「こういう特徴がある子なんです」と伝えることができます。私たち専門家だけが、そうした情報提供ができるわけではなくて、家族の方にもできるだけ参画してもらうことを考えています。だから、家族、本人、支援者の共同作業だということです。

それぞれの道は異なる−多様な家族像−
 これも稲村さんの話とかぶりますが、多様な家族像というものがあるのだと思っています。たとえば、なにがなんでも施設に押し込んで、しっかりした旦那に仕上げるみたいな発想が、昔も今もあり、そうならなければ離婚だとか、あるいは、絶対に離婚しないことが前提だというようなことがあります。能力や適性をきちんと見て考えれば、そうはなれない人もいるわけで、いろいろな家族があっていいでしょうということで、この家の場合はどうなのか?と考えるようなことをしています。以前のように夫婦として再生している人もいますし、週末婚ぐらいがちょうどよいという結論を出した人もいます。ウイークデーは安アパートから仕事に行って、仕事が終わるとちょっとだけ1時間くらい1円パチンコをやって、アパートに帰ってレトルトカレーを温めて食べていると幸せなんていっている人もいます。それで土・日は、妻と子供のところに帰って、出かけたり、食事したりする生活が無理なく楽しいとのことです。妻は若干ときどき不満を漏らしますが、夫はこの生活がいいと言います。やりながら考えて、折り合いをつける手助けをしています。あるいは、離婚をしたのですが、よいお友達の関係で、パパの役割はバッチリやっているというような家族もあります。何が正解というのではなくて、この家だったらこんな感じの目標になりそうかな?みたいなことを、一緒に考えるのもいいのかなと思っています。そして、家族や本人が納得していくプロセスに寄り添っていくのが、私の仕事なのかなと感じています。

支援者対象の見立て直し
 最近、ワンデーポートの家族個別相談でときどきあるのが、支援者対象の見立て直しです。たとえば、生活保護や相談支援機関など地域の支援者が、依存症と思って(主治医に依存症だといわれて)支援しているけれど、なかなかうまくいかないというような場合に、支援者の方々の相談に乗ることがあります。
 よくよく聞いてみると、知的な障害があるのがわかったとか、発達の問題の方からアプローチした方がよさそうだとか、さまざまな見立て直しをして、今までとは違う支援に方向転換してみるようなことをします。本人が回復して、全部自分で自立できるようになるということではなくて、生活を支援したり、あるいは環境を整えたりすることを中心にした支援に変えていきます。こうした見立て直しの相談もやっています。基本は家族相談なので、家族の相談枠を減らしてまではやりませんが、空いている相談枠があるときには、無理のない範囲で、こういうこともやっています。


日本のギャンブラーの問題は「依存症支援」では解決しない
 最後に、簡単にまとめてみました。ギャンブル依存症という単一の疾患・病気があるわけではありません。私たちに見えてきた一番のことは、「ギャンブルの問題のある人を、みんなひっくるめてギャンブル依存症といわないでください」ということだと思います。病気というよりは、生活の問題です。
 それから、さきほどもいいましたけれど、社会の変化との関係性の中でとらえていかなければいけません。今日、稲村さんと私とでこういう話をしましたが、3年後、5年後に社会が変わったりすれば、問題の出方が変わってくる可能性があります。そうなると、支援の仕方も変えなければならないところも出てくるかもしれません。
 欧米のギャンブラーと日本のギャンブラーは違います。今、日本のギャンブラーはパチンコとパチスロが中心です。非常に日常生活に近いところにあって、ゲーム性が強いです。欧米などで問題になっているカジノは、非日常的な空間です。そうした非日常的な空間の中で、大きなお金をかけて、非常に賭博性が高いです。これらは、同じギャンブルという言葉でくくられていても、だいぶ違うものなのです。日本のギャンブルはどちらかといえば時間を消費するとか、コンテンツを楽しむものです。カジノは、ハイソでセレブな人たちが、多額のお金を攻撃的にガツガツ賭けて、多額のお金を得る。そういうギャンブルです。こういう人たちは生活のレベルも教育的なレベルも高いです。
 日本のギャンブルは日常的な生活の範囲の庶民のギャンブルで、ガツガツというよりも問題から逃げる感じです。そういうところにしか居場所がないとか、逃避的な色彩を帯びたギャンブルのことが多いです。なので、日本のギャンブルの問題と諸外国とでは違いがあるということです。つまり、ギャンブルの対策をアメリカからそのまま持ってきても、対象が違うので日本の実情には合いません。
 こういうことはあまりいわれていませんが、パチンコ業界の支援で電話相談を行っているリカバリーサポートネットワークの西村直之先生のように、対象の違いを明確に指摘している先生もいます。だから、日本のギャンブラーというのが、見通しをつける力が弱いとか、生活に苦手なところがあるとか、社会の中に役割がないとか、少し競争社会からこぼれて、娯楽自体これしかないというような、何らかの弱いところ、苦手なところがあって生活がうまく営めない人たちで、こういう人たちがはまっているのが日本のギャンブルです。最近よく出てくる数字ですが、「ギャンブル依存の疑い536万人」といわれますけど、ほとんどがパチンコ、パチスロです。諸外国のバリバリのギャンブラーとは違う人たちであると私たちはとらえています。ですから、医療とか、認知行動療法とか、いわゆる旧来からの依存症の支援とかで、ギャンブルという行動だけに目を向けても解決できないと思います。個人差を考慮した、生活を成り立たせる支援が必要で、私たちはそういうことを考えながら相談をしています。


稲村の話
http://onedaypt.jugem.jp/?eid=912
 

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